あの夏の日 渚園から32年
今日は、うれしいことがいっぱいあった。
その中のひとつは、REICOさんと出会ったこと。
わたしは、彼女を知らなかった。
REICOさんも、わたしを知らなかったと思う。
わたしは、「REICO」という文字を見るたび思いだす。
あの日のことを。
REIKOさんは、浜田省吾さんのファンだった。
REIKOさんは、広島県出身。
浜田省吾さんのデビュー当時から応援していたと聞いた記憶がある。
なんていうか、REIKOさんは見かけによらず(ごめんなさい)熱狂的な浜田省吾ファンで。
浜田省吾のことなら何でも知ってるような人だった。
わたしはメーリングリストでREIKOさんと知り合い、浜田省吾さんのことをいろいろ聞いた。
コンサートの前にお会いして話をした時、すごく感動したことを覚えてる。
時は、1998年。ON THE ROAD 200のツアー中。
わたしは、浜田省吾オフィシャルファンクラブ「ロードアンドスカイ」が設立する前に存在した浜田省吾サークルの会報「BLUE TRAIN」を見せてもらう機会があった。
そして、浜田省吾サークルの会報「BLUE TRAIN」を貸していただいたことがある。
それ以来、わたしはREIKOさんのことを考えずに、毎年年賀状を送り続けていた。
何年ほど経ってからだろうか。REIKOさんから、年賀状は終わりにしませんかと。
あれ以来、REIKOさんとは連絡を取っていない。
その記憶だけが胸に、わたしの心の中に生き続けている。
だから。
「REIKO」という名前をみるたび、「もしかして」と思ってしまう。
今日もそうだった。
失礼かなとは思いながら、REICOさんのプロフィールを拝見して。
REICOさんは、間違いなく浜田省吾さんのファン。
かなり前からの。そう感じた。
「REIKO」さんを「REICO」さんと重ね合わせて。
今日の「REICO」さんのつぶやき。
渚園でのコンサートのことが書かれていた。
あの、渚園でのコンサートに参加したのは5万人しかいない。
その中の一人。
もう、それだけで、リスペクトするべき存在だ。
もしかすると、現在わたしとつながっている人の中にも渚園のコンサートに参加した人はいるかも知れない...。
わたしなんて足元にも及ばない、浜田省吾ファンの大先輩達。
わたしは、もっとリスペクトしなければ。そう感じたのでした。
その中のひとつは、REICOさんと出会ったこと。
わたしは、彼女を知らなかった。
REICOさんも、わたしを知らなかったと思う。
わたしは、「REICO」という文字を見るたび思いだす。
あの日のことを。
REIKOさんは、浜田省吾さんのファンだった。
REIKOさんは、広島県出身。
浜田省吾さんのデビュー当時から応援していたと聞いた記憶がある。
なんていうか、REIKOさんは見かけによらず(ごめんなさい)熱狂的な浜田省吾ファンで。
浜田省吾のことなら何でも知ってるような人だった。
わたしはメーリングリストでREIKOさんと知り合い、浜田省吾さんのことをいろいろ聞いた。
コンサートの前にお会いして話をした時、すごく感動したことを覚えてる。
時は、1998年。ON THE ROAD 200のツアー中。
わたしは、浜田省吾オフィシャルファンクラブ「ロードアンドスカイ」が設立する前に存在した浜田省吾サークルの会報「BLUE TRAIN」を見せてもらう機会があった。
そして、浜田省吾サークルの会報「BLUE TRAIN」を貸していただいたことがある。
それ以来、わたしはREIKOさんのことを考えずに、毎年年賀状を送り続けていた。
何年ほど経ってからだろうか。REIKOさんから、年賀状は終わりにしませんかと。
あれ以来、REIKOさんとは連絡を取っていない。
その記憶だけが胸に、わたしの心の中に生き続けている。
だから。
「REIKO」という名前をみるたび、「もしかして」と思ってしまう。
今日もそうだった。
失礼かなとは思いながら、REICOさんのプロフィールを拝見して。
REICOさんは、間違いなく浜田省吾さんのファン。
かなり前からの。そう感じた。
「REIKO」さんを「REICO」さんと重ね合わせて。
今日の「REICO」さんのつぶやき。
渚園でのコンサートのことが書かれていた。
あの、渚園でのコンサートに参加したのは5万人しかいない。
その中の一人。
もう、それだけで、リスペクトするべき存在だ。
もしかすると、現在わたしとつながっている人の中にも渚園のコンサートに参加した人はいるかも知れない...。
わたしなんて足元にも及ばない、浜田省吾ファンの大先輩達。
わたしは、もっとリスペクトしなければ。そう感じたのでした。