浜田省吾さんの言葉「ジョン・レノン」「俺はまだ生きてる」がリンクしたエッセイ「ジョンレノンって…」
2020年8月 7日 金曜日の朝日新聞朝刊に連載されている「オトナになった女子たちへ」。
漫画家 伊藤理佐さんのエッセイ。
今日のタイトルは、「ジョンレノンって…」。
一瞬、えっ。と声が出てしまった。
彼女が、伊藤理佐さんが、このエッセイで音楽に関することを書くとは。
しかも、ジョンレノンについて。
もうタイトルを見た時から、見た瞬間から読み始めてみる。
要約すると、ムスメさん(10才)が寝る前に、布団の中で「ジョンレノンってだれ?」と聞いてきたことを、ほぼノンフィクションで書いたものだった。
ムスメさん(10才)が、ジョンレノンを知ったというのもスゴイと思うのだが、どこで聞いたのかもわからないという...。そこから、ジョンレノンについて、ムスメさん(10才)と伊藤理佐さんのトークが展開するわけですが。
これが、もう、なんていうか、おもしろおかしく。いちいちツボにハマってしまい、くすっとなっちゃう。
歌を歌うひとなのか
髪形は、どんな感じなのか
生きてるのか、死んでるのか
日本人なのか
男か女か
もう、おなか抱えて笑うほど、おもしろかった。
ジョンレノンを知らない10才のムスメさんは、自分の知りたいことを次々と質問する。その質問は、ジョンレノンを知らない10才のムスメさんが興味津々なこと。真剣に聞いているのだ。
そして、ジョンレノンをよく知らない伊藤理佐さんは、困りながらも 自分の知っていることを話す。このトークが、なんとも、ほのぼのとして、お母さんと子供だなと 微笑ましく思えた。
やがて、伊藤理佐さんがジョンレノンを知らない10才のムスメさんに聞いてみる。
ジョンレノンは、どんな歌を歌うと思うか。
ジョンレノンを知らない10才のムスメさんは、こう答えた「なんか、激しい歌!」。いやいやいやいや、おそれいりました。一本取られました。座布団10枚級の落ち。あとは、結びの言葉。
伊藤理佐さん、ありがとうございました。暗いニュースばかりの中、朝からテンション高く、元気に1日を過ごせそうです。なんだか、400文字の原稿用紙2枚ちょっと
の読書感想文になっちゃったな。そう思うわたしなのでした。

この記事を書く前に思ったこと。
わたしも、ジョンレノンをほとんど知らない。
浜田省吾さんが、浜田省吾公式ファンクラブイベント 100%FAN FUN FAN 2018 Welcome back to The 70's Journey of a Songwrite” since 1975 「君が人生の時 ~Time of Your Life」で語った言葉だ。
この言葉がなければ、わたしは、いい年をして、ジョンレノンと聞かれても ほとんど知らない人間だった。今も、ほとんど知らないけれど。
この浜田省吾さんの
「もし、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが生きていて」という部分や「俺はまだ生きてる」という言葉が絶妙にリンクして、リアリティを感じたし、伊藤理佐さんのムスメさんに「浜田省吾さんの言葉を教えたい」なんて思った。
このムスメさんが、10才のムスメさんが浜田省吾さんの言葉を聞いたら、なんと言うだろう。そして、ジョンレノンの歌を聴いたら、浜田省吾さんの歌を聴いたら、なんと思うだろう。
頭の中で想像してみる。子供は正直だ。思ったことを、そのまま口にする。痛いこともストレートに、包み隠さずに。子供は、そうあるべきだと思うし、最近の子供の言葉は大人じみていてキモチ悪い。
これが、本当に子供の言葉かと思うようなことを、すっと言う。まるで忖度してるかのように。そんな必要はないのにな。わたしは、子供の頃を思いだした。
子供の頃に書いた運動会の詩。自分の思ったまま、感じたまま、ストレートに感情を書いた。その詩が、国語の先生に褒められ、すごくうれしくなった。そして、国語が大好きになったのだ。
そして、今、こうしてブログを書いている。
書いているという言葉は正しいのか。正確には、書かされているというか、書きたいから書いているのだけれど。
この記事は、2020年8月 7日 金曜日の朝日新聞朝刊に連載されている漫画家 伊藤理佐さんのエッセイ「オトナになった女子たちへ」の「ジョンレノンって…」がなければ書くことはなかったもの。
不思議だなと思う。だけれど、ひとつの記事から こうして書いたのはわたしだ。誰かが、この記事を読んでくれて、新しいアクションがあったなら、それはうれしいことなのだろう。そんなことを思った。
浜田省吾 君が人生の時… (Welcome back to The 70's / Short Version)
漫画家 伊藤理佐さんのエッセイ。
今日のタイトルは、「ジョンレノンって…」。
一瞬、えっ。と声が出てしまった。
彼女が、伊藤理佐さんが、このエッセイで音楽に関することを書くとは。
しかも、ジョンレノンについて。
もうタイトルを見た時から、見た瞬間から読み始めてみる。
要約すると、ムスメさん(10才)が寝る前に、布団の中で「ジョンレノンってだれ?」と聞いてきたことを、ほぼノンフィクションで書いたものだった。
ムスメさん(10才)が、ジョンレノンを知ったというのもスゴイと思うのだが、どこで聞いたのかもわからないという...。そこから、ジョンレノンについて、ムスメさん(10才)と伊藤理佐さんのトークが展開するわけですが。
これが、もう、なんていうか、おもしろおかしく。いちいちツボにハマってしまい、くすっとなっちゃう。
歌を歌うひとなのか
髪形は、どんな感じなのか
生きてるのか、死んでるのか
日本人なのか
男か女か
もう、おなか抱えて笑うほど、おもしろかった。
ジョンレノンを知らない10才のムスメさんは、自分の知りたいことを次々と質問する。その質問は、ジョンレノンを知らない10才のムスメさんが興味津々なこと。真剣に聞いているのだ。
そして、ジョンレノンをよく知らない伊藤理佐さんは、困りながらも 自分の知っていることを話す。このトークが、なんとも、ほのぼのとして、お母さんと子供だなと 微笑ましく思えた。
やがて、伊藤理佐さんがジョンレノンを知らない10才のムスメさんに聞いてみる。
ジョンレノンは、どんな歌を歌うと思うか。
ジョンレノンを知らない10才のムスメさんは、こう答えた「なんか、激しい歌!」。いやいやいやいや、おそれいりました。一本取られました。座布団10枚級の落ち。あとは、結びの言葉。
伊藤理佐さん、ありがとうございました。暗いニュースばかりの中、朝からテンション高く、元気に1日を過ごせそうです。なんだか、400文字の原稿用紙2枚ちょっと
の読書感想文になっちゃったな。そう思うわたしなのでした。

この記事を書く前に思ったこと。
わたしも、ジョンレノンをほとんど知らない。
「もし、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが生きていて、ビートルズが再結成されて『IN MY LIFE』を聞くことが出来たら。カレン・カーペンターが生きてて『CLOSE TO YOU』や『YESTERDAY ONCE MORE』を聞けたら、ツエッペリンのジョン・ボーナムが元気で、生で『GOODTIMES BADTIMES』をみることが出来たらどんなに素晴らしいだろう。でも、彼らはもういない。しかし、俺はまだ生きてる」
浜田省吾さんが、浜田省吾公式ファンクラブイベント 100%FAN FUN FAN 2018 Welcome back to The 70's Journey of a Songwrite” since 1975 「君が人生の時 ~Time of Your Life」で語った言葉だ。
この言葉がなければ、わたしは、いい年をして、ジョンレノンと聞かれても ほとんど知らない人間だった。今も、ほとんど知らないけれど。
この浜田省吾さんの
「もし、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが生きていて」という部分や「俺はまだ生きてる」という言葉が絶妙にリンクして、リアリティを感じたし、伊藤理佐さんのムスメさんに「浜田省吾さんの言葉を教えたい」なんて思った。
このムスメさんが、10才のムスメさんが浜田省吾さんの言葉を聞いたら、なんと言うだろう。そして、ジョンレノンの歌を聴いたら、浜田省吾さんの歌を聴いたら、なんと思うだろう。
頭の中で想像してみる。子供は正直だ。思ったことを、そのまま口にする。痛いこともストレートに、包み隠さずに。子供は、そうあるべきだと思うし、最近の子供の言葉は大人じみていてキモチ悪い。
これが、本当に子供の言葉かと思うようなことを、すっと言う。まるで忖度してるかのように。そんな必要はないのにな。わたしは、子供の頃を思いだした。
子供の頃に書いた運動会の詩。自分の思ったまま、感じたまま、ストレートに感情を書いた。その詩が、国語の先生に褒められ、すごくうれしくなった。そして、国語が大好きになったのだ。
そして、今、こうしてブログを書いている。
書いているという言葉は正しいのか。正確には、書かされているというか、書きたいから書いているのだけれど。
この記事は、2020年8月 7日 金曜日の朝日新聞朝刊に連載されている漫画家 伊藤理佐さんのエッセイ「オトナになった女子たちへ」の「ジョンレノンって…」がなければ書くことはなかったもの。
不思議だなと思う。だけれど、ひとつの記事から こうして書いたのはわたしだ。誰かが、この記事を読んでくれて、新しいアクションがあったなら、それはうれしいことなのだろう。そんなことを思った。
浜田省吾 君が人生の時… (Welcome back to The 70's / Short Version)