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- Radio Show Must Go On!浜田省吾さんの話題を書き続けていくブログ

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古村敏比古さんは、どのようにして浜田省吾さんのライブの不動のメンバーになったのか

2020/07/25  15:30
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浜田省吾さんの不動のライブメンバー古村敏比古さん。

古村敏比古さんが、
どのタイミングで
どのようにして
浜田省吾さんのライブの不動のメンバーになったのか。
ずっと知りたいと思っていました。

調べても、まったくわからなかったのです。今日まで。いくら検索しても、それらしきものを見つけることができませんでした。

それが。今朝、偶然見つかったのです。引き出しの奥にしまってあったものを見つけた時のうれしさ。というか、探している時には全然見つからなかったのに、意識していない時に偶然見つかった時のうれしさというか。そんな感じでした。

古村敏比古
1957年6月23日生まれ(63歳)
東京都出身
明治学院大学社会学部卒

明治学院大学在学中にYAMAHAのコンテスト「EastWest」に出場し、審査員をしていた鳴瀬喜博に誘われ、バックスバニーに参加、レコードデビューもバックスバニーのホーンアレンジとして果たす事になる
古村敏比古 - Wikipedia


1980年、明治学院大学時代からの友人である織田哲郎さんや北島健二さんらとのユニット「織田哲郎 & 9th IMAGE」を結成。1981年にバンドは解散。そして、1982年に。

ここからは、Wikipedeiaや古村敏比古さんのホームページに書いてない、1982年の浜田省吾さんとの出会いについてです。1982年12月18日 倉敷市民会館から、古村敏比古さんは浜田省吾さんのツアーに合流することになるのです。

どのような経緯でそうなったのかはよく分からないが、この旅の途中から急遽サックス奏者が加わることになった。浜田省吾の舞台監督を担当していたH氏からの紹介の人物ということだった。
浜田省吾 #18 1982年12月18日倉敷市民会館 - My Chronicle


みなさんご存じの板倉さんのブログに、古村敏比古さん合流のことが書かれていたのです。当時のエピソードは、板倉さんのブログをご覧ください。とっても詳しく書かれています。

そして、このようにも書かれています。
昨日まで演奏していた曲にサックスが加わったことで格段に勢いと迫力が増した。
ぼくはまるでブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドのようだ、と心の中でほくそ笑んでいた。

パワフルなサックスが入ったことで、浜田さんもバンドメンバーも一気にテンションが上がり、今夜のショーが始まるのが楽しみでならなかった。

その日のステージはとてもエキサイティングで歴史的な一夜となった。
浜田省吾 #18 1982年12月18日倉敷市民会館 - M Chronicle


おそらく、浜田省吾さんは、ブルース・スプリングスティーンを意識して 自分のバンドにもサックス奏者をと考えたのだと思います。

これこそ、わたしが知りたかった情報でした。
舞台監督を担当していたH氏と古村敏比古さんの出会い。それは、これから調べるとして。

古村敏比古さんが、浜田省吾さんの不動のライブメンバーになったのはブルース・スプリングスティーンが大きく影響しているという裏付けを取ることが出来たような気がしています。

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