この人生が 何処へ俺を導くのか尋ねてみる - 浜田省吾『家路』
人生とはなんぞや。
ふと、そんなことを考えた。
まだ生きてる。
それが、答えなのかも知れない。
生きてさえいれば。
そんな言葉を聞くことがある。
でも...。
生きてさえいればというけれど、。
本当にそうなんだろうか。
そう思う自分がいる。
こんなにツライのに。
こんなに苦しいのに。
こんなに大変なのに。
そんな時に、生きてさえいれば。
そんな風に思えるだろうか。
死んだ方がマシ。
死んだ方が楽。
そう思うことだってあるだろう。
そう思うことの方が多いかも知れない。
だけど。
人間というのはおかしなもので、
死んだ方がマシと思っていても
いざ、そういう場面に遭遇すると
まだ生きていたい。そう思ってしまうのだと思う。
矛盾している。
確かにそうだ。
死んだ方がマシと思っているのに、
まだ生きていたいと思ってしまう。
それは、人間の本能。そして、欲求。
死にたくないと生きていたい。
似ているが、非なるもの。
生きていたい。
そう思うことで、人は強くなれるのではないか。
では、なぜ生きていたいと思うのか。
それは、愛する人がいたり、守るべき家族がいたり。
または、こんなことをしたい。
あんなことをしなくちゃ。
そんな潜在意識が、そう思わせるのかも知れない。
今朝、あるブログにこんなことが書いてあった。
「ドラマの再放送観れておうち時間も悪くないわ」と。
たしかに。
この、今の状況にならなければ、
見ることのなかったであろうドラマを見ることが出来る。
今の状況にならなければ、
観たり聴いたりすることのなかった音楽を知ることが出来る。
悪くない。
初めてそう思えた瞬間であった。
浜田省吾さんにしてもそうだ。
今の状況にならなければ、過去の浜田省吾オフィシャルファンクラブ会員限定コンサートで演奏された「日はまた昇る」や「Walking in the rain」の映像は観ることが出来なかったかも知れない。
2018年から3年連続となるニューレコーディングシングルは、『MIRROR / DANCE』ではなかったかも知れない。
いつか行われるであろう、浜田省吾オフィシャルファンクラブ会員限定コンサート 80年代後半の構成も変わるかも知れない。
そんなことを受け入れながら人生を送るのだ。
また、それが人生というものなのだろう。
そして、これらは生きていなければ体験することが出来ないのだ。
そう思うと、あとわずかな時間だとしても、少しでも長い時間を生きていたい。そう思えた。
数ある浜田省吾さんの「人生」というキーワードが含まれている楽曲の中から、今日は『家路』のフレーズを紹介します。
自分が、どこへ辿り着くかではない。
人生が、どこへ導いてくれるのかと。
人生を導くのではない。
人生が導いてくれるのだ。
あなたは、今の人生にどれのくらい満足していますか。
という設問があったとしたら、あなたはどう答えますか。
1.とても満足している
2.ほぼ満足している
3.どちらでもない
4.あまり満足していない
5.まったく満足していない
わたしは、「ほぼ満足している」。
自分の欲求をすべて満たすことは出来ていないけれど、これと言って不自由することもなく、今、こうして生活できていることに感謝しなければいけないのだろう。
ろくに勉強もせず、親に迷惑ばかりかけてきた。
そして、やりたいと思ったことは、ほぼ出来ているのだから。
この人生が どこへ導いてくれるのか。
それは、神のみぞ知ることは間違いない。
ただ、努力なくしては、先へ進むことなどできないだろう。
そう気づかせてくれたことに感謝しながら、
生きてい生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きてゆく。これからも、ずっと。
家路 浜田省吾 with Bank Band (LIVE ap bank fes '05 )
このライブで、桜井さんは感極まって涙しました。
「『HERO』の"小さい頃に身振り手振りを真似てみせた"を歌っている時、自分が中学時代に浜田省吾の真似をしていたのを思い出した。」それが、涙した理由のひとつだとフェス後に発売された音楽雑誌「WHAT'S IN?」で語っています。
ふと、そんなことを考えた。
まだ生きてる。
それが、答えなのかも知れない。
生きてさえいれば。
そんな言葉を聞くことがある。
でも...。
生きてさえいればというけれど、。
本当にそうなんだろうか。
そう思う自分がいる。
こんなにツライのに。
こんなに苦しいのに。
こんなに大変なのに。
そんな時に、生きてさえいれば。
そんな風に思えるだろうか。
死んだ方がマシ。
死んだ方が楽。
そう思うことだってあるだろう。
そう思うことの方が多いかも知れない。
だけど。
人間というのはおかしなもので、
死んだ方がマシと思っていても
いざ、そういう場面に遭遇すると
まだ生きていたい。そう思ってしまうのだと思う。
矛盾している。
確かにそうだ。
死んだ方がマシと思っているのに、
まだ生きていたいと思ってしまう。
それは、人間の本能。そして、欲求。
死にたくないと生きていたい。
似ているが、非なるもの。
生きていたい。
そう思うことで、人は強くなれるのではないか。
では、なぜ生きていたいと思うのか。
それは、愛する人がいたり、守るべき家族がいたり。
または、こんなことをしたい。
あんなことをしなくちゃ。
そんな潜在意識が、そう思わせるのかも知れない。
今朝、あるブログにこんなことが書いてあった。
「ドラマの再放送観れておうち時間も悪くないわ」と。
たしかに。
この、今の状況にならなければ、
見ることのなかったであろうドラマを見ることが出来る。
今の状況にならなければ、
観たり聴いたりすることのなかった音楽を知ることが出来る。
悪くない。
初めてそう思えた瞬間であった。
浜田省吾さんにしてもそうだ。
今の状況にならなければ、過去の浜田省吾オフィシャルファンクラブ会員限定コンサートで演奏された「日はまた昇る」や「Walking in the rain」の映像は観ることが出来なかったかも知れない。
2018年から3年連続となるニューレコーディングシングルは、『MIRROR / DANCE』ではなかったかも知れない。
いつか行われるであろう、浜田省吾オフィシャルファンクラブ会員限定コンサート 80年代後半の構成も変わるかも知れない。
そんなことを受け入れながら人生を送るのだ。
また、それが人生というものなのだろう。
そして、これらは生きていなければ体験することが出来ないのだ。
そう思うと、あとわずかな時間だとしても、少しでも長い時間を生きていたい。そう思えた。
数ある浜田省吾さんの「人生」というキーワードが含まれている楽曲の中から、今日は『家路』のフレーズを紹介します。
家路
作詞:浜田省吾
作曲:浜田省吾
蒼く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見おろし
この人生が 何処へ俺を導くのか尋ねてみる
自分が、どこへ辿り着くかではない。
人生が、どこへ導いてくれるのかと。
人生を導くのではない。
人生が導いてくれるのだ。
あなたは、今の人生にどれのくらい満足していますか。
という設問があったとしたら、あなたはどう答えますか。
1.とても満足している
2.ほぼ満足している
3.どちらでもない
4.あまり満足していない
5.まったく満足していない
わたしは、「ほぼ満足している」。
自分の欲求をすべて満たすことは出来ていないけれど、これと言って不自由することもなく、今、こうして生活できていることに感謝しなければいけないのだろう。
ろくに勉強もせず、親に迷惑ばかりかけてきた。
そして、やりたいと思ったことは、ほぼ出来ているのだから。
この人生が どこへ導いてくれるのか。
それは、神のみぞ知ることは間違いない。
ただ、努力なくしては、先へ進むことなどできないだろう。
そう気づかせてくれたことに感謝しながら、
生きてい生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きてゆく。これからも、ずっと。
家路 浜田省吾 with Bank Band (LIVE ap bank fes '05 )
このライブで、桜井さんは感極まって涙しました。
「『HERO』の"小さい頃に身振り手振りを真似てみせた"を歌っている時、自分が中学時代に浜田省吾の真似をしていたのを思い出した。」それが、涙した理由のひとつだとフェス後に発売された音楽雑誌「WHAT'S IN?」で語っています。